秋月何時記

秋月伊槻のあれこれを書いてます

カリリとネーム

 行き詰まってふて寝して、思いついて飛び起きて描いては行き詰まりの繰り返し。
 行き詰まった話しの続きを夢で見て、それを描いたりするのが一番勢いよく進むんですけど、これって駄目なんじゃね?


 一人二人三人と人が出てきて、1つの場が出来る。
 場が出来て人が居れば物語が生まれて、物事が動く。
 複数の人間がいて物事が動くと、大抵は少なからず波が立つ。←今此処


 この波を立てる(というか立ってしまう波)ってのがくせ者なのです。悩みの種。
 波が立つには人が立ち、ぶつからなくちゃいかん。物理的にしろ精神的にしろ接点があって衝突ないといかん。
 物の本流に逆らったりするような要素もあると尚良い。
 その為には出来るだけ多くの異なった思想や規則、欲求や自己表現を発掘して、キャラクタに植え付けてやらなくちゃならない。
 植え付けた物を覚えて無くちゃならない。
 さらに、それが変化していく要素を放り込み、劇的とは行かないまでも変化してなければならない。



 ここで問題が発生するんですね。
 俺って頭悪いなぁって。
 できれば短い時間(ページ数)でまとめたい自分と、キャラクタの心情や変化、些細な動きから伺える感情を拾っていってあげたい自分がいるんです。
 でも、そんなことしてるとまとまらない。
 続き物にしても良いんだけど、それってなんかもっとちゃんと出来てないと違う気がする。


 まとめようとすると、ご都合主義のような詰まらない展開になりがちだし、キャラクタが物わかり良すぎちゃう。
 短くまとまりながらもご都合っぽくならないように、説得したり整理したりするのがうまくできる人は凄い。
 経験が物をいうものなのですかね。


 いつもはこういうジレンマには作り終わってから悩まされるんですが、今回は作っている途中で出くわしたので記す。
 勢いが無いとも言います。




 ブログのパスワードを忘れそうになったりしたよ。